同医院を何度も訪ね、私は、小笠原一夫医師と「がんの対話」を重ねてきた。
最初の出会いから数えてもう十年間が経過している。
小笠原医師は、物静かな人柄だが、がん末期の痛みをやわらげる専門家だ。
いわゆる「WHO方式がん疼痛治療法」をすべての人が知り、痛みを取るための努力を医療関係者に遠慮なく申し出たほうがよい、と患者側の心得を説く。
そして一方では、訪問看護チームや家族と一緒になって在宅での看取りと熱心に取り組んできた。
その医療の姿をよく知っているので、私自身が不治のがんを病み、人生最後の時間を過ごすときには、小笠原医師の世話になるかもしれない。
そう本気で思ったりすることがある。
それくらい、人間的にも信頼のおける医者である。
ある年の秋、小笠原医師の背中越しに、私は三十代の男性患者の在宅ホスピスをIヵ月にわたって取材した。
そこで発見したのは「患者が主役」という生き方だ。
医療者ではなく、患者本人がそう考え、終末期医療の主役としてがんを生きる。
そうした患者像には深い共感と感動を覚えたものである。
だが、それを語る前に、まずは、がんの痛みの治療の問題に簡単にふれておかねばならない。
よく言われることだが、末期がん患者の三人に二人が痛みを主に訴え、そのうちの三〇パーセントは昼夜の別なく激しい痛みに襲われる。
これに対し、〈全世界のがん患者の大多数にとって現実的な目標点の一つは、薬の適切な使用によって痛みから解放されることである〉としたWHO(世界保健機関)は、一九八三年に世界九ヵ国十七名の専門家による「がん疼痛専門委員会」を設置。
がんの痛みの治療の目標を〈昼夜を通じての無痛状態の維持〉とした。
八四年十二月、スイスのジュネーブで開かれた「がん疼痛の包括的治療に関するWHO会議」で実際的な治療プログラムが決定し、八六年、「がんの痛みからの解放」と題した報告書が全世界に示された。
これがいわゆる「WHO方式がん疼痛治療法」と呼ばれるもので、確実に効果を持ち、世界のどこでも活用できるよう各種鎮痛薬の使用法を整理したものであった。
具体的には、がんの痛みの強さを軽度、中等度、重度の三段階に分け、軽度には非麻薬系のアスピリン、中等度には弱い阿片系麻薬であるコデイン、重度には強作用の阿片系麻薬のモルヒネを使う。
この三段階治療法で、〈がんの痛みは、飲む薬だけで九〇パーセントは消せ、残りのI〇パーセントも薬で大幅に軽減できる〉とされた。
医療用モルヒネが、この段階でがんの痛みを除去する薬物療法の代表薬として認知されたわけで、それ以降、世界各国でモルヒネの利用法についての研究が進み、経口投与法のほか、座薬としての直腸内投与法、副作用の少ない持続皮下注入法などの画期的な方法が開発されることになったのだ。
「モルヒネイコール死」は日本人の誤解
医学的に見ても、がんによる痛みに耐えることは、末期の患者にとって何の意味もない。
しかも、その痛みは患者を不安と恐怖に陥れ、痛み以外の症状も進行するため、抑営
された心理状態を生みだすことにもなる。
これらの点から、がんの痛みはできるだけ早く除去するというのが欧米では常識とされる。
だが少し前まで、日本では国がモルヒネの使用量を規制し、がん医療にあたる医師の多くがモルヒネの使用に消極的と言われた。
患者家族側にも「モルヒネイコール死」という誤解が根強かった。
がんで亡くなった患者の家族を対象に、末期医療の状況を聞いた旧厚生省の全国調査結果(九三年)を見ても、東京など十一都道府県でがんで死亡した患者千九百十八人(四十歳土八十五歳未満)のうち、末期段階でも無益な延命治療を受けていたのが全体の五三パーセント、モルヒネなどで痛みをやわらげる緩和ケア療法を受けたのが二九・三八‐‐セントという結果であった。
裏を返せば、日本の病院でぱもはや治る見込みのない末期がん患者の二人に一人が、死の間際まで薬漬け、注射漬けにされていたことになる。
しかも、末期患者の十人中七人は、激しい痛みのなか病院の一室で放置されていたという実態が明らかになった。
これに対し、家族の満足度は、延命のための積極的治療を受けたケースの三〇パーセントが「満足していない」。
逆に、痛みの治療が中心の緩和ケア療法を受けた家族の満足度は九三パーセントと高く、大きな差が見られたのである。
そのため、医療者による延命一辺倒の末期医療のあり方に対する反省が生まれ、とくに不治となったがんの末期患者の緩和ケア、すなわちモルヒネなどを使う積極的な「痛みの治療」の必要性が医学界の内外で声高に論じられ始めた。
こうした流れのなか、国内でも持続性疼痛治療薬「MSコンチン錠」(硫酸モルヒネ徐放錠)のほか、最近でぱ、三日に一回貼り替えるだけで、どんなに強い痛みも消える「デュロテップ」(二〇〇二年三月認可)という便利な貼り薬が登場。
治療目的のモルヒネの外来患者への投薬規制が見直されたこともあり、がん末期の在宅ホスピスが可能になった。
では、在宅ホスピスの理想的な受け方とはどのような形か。
それはまた、がん末期の生き方と深く関わる問題だが、余命いくばくもないと自ら悟ったとき、どのようにすれば今を元気に生きられるか。
心の平穏とやすらぎを得られる過ごし方とは?
その年の1ヵ月余り、がん末期の男性患者Nさんと私が交わした「メールの対話」は、そのことを考えるための生の記録と呼べるかもしれない。
がん末期患者Nさんとの対話
「私、あまりしやべれないので余計な返事はしませんから、お願いします」
体調がすぐれないのか、少し息苦しそうな気配が電話の向こうからそのまま伝わってきた。
翌日、もう一度電話を入れると今度は「いま点滴中なんです」。
そのあと、同じ声がこう言った。
「互いのやりとりは電話ではなく、メールでお願いできませんか」
これが、彼とのそもそものなれそめだった。
在宅ホスピスを開始して1ヵ月後、日付は一九九九年九月九日。
このとき転移性肺がんの末期症状がNさんをひどく苦しめていたのだ。
大量に溜まった胸水が胸の内部を圧迫して痛みが止まらなかった。
肺機能低下による呼吸苦もあった。
痛み止めの作用のせいか、Nさんの意識は昼も夜も朧朧とする時間が多かった。
一九六〇年生まれ。
大手電機メーカーに勤務する、技術系の有能な中堅会社員。
三歳下の妻と二人の子(高校生の娘と幼稚園の息子)、そして自分の両親が同居する六人家族。
一家の暮らしを大黒柱として支えるNさんのがんが再発し、「あとI、ニカ月の命か」と自ら覚悟していた時期に、私は彼と知り合った。
Nさんの最期の日ぱ、その年の十月二十一日にやってくる。
余命いくばくもない時間を、前向きな姿勢で生き、Nさんは最期までNさんらしかった。
何がNさんらしかったかと言えば、与えられた命を精一杯頑張って生き抜いたこと。
がん患者が死と向き合うとき一終末期医療を考える
がん末期の孤独をやわらげる方法の一つは、できるだけ「ふつうの生活」を送ることだという。
Nさんの場合、大好きなパソコンいじり、妻との語らい、幼い息子と遊ぶことで心の孤独は癒されていたようだ。
また1ヵ月余りで、Nさんと私の往復メールは九十通以上を数えたが、そうした日々、私ぱ、がん末期の彼の現実を忘れるような瞬間が何度かあった。
その死をほとんど意識しない語らいのなか、私白身、死を受け入れることの意味を学んだ。
死期を悟りながら、本人が死を意識しなくなった一瞬に、自然な最期のときが訪れる。
それが実は、人間の死であることをNさんの生き方から教わったように思うのだ。
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